私が偏愛している映画20選(そこまで有名ではないもの中心)

元エントリ

 

anond.hatelabo.jp

 

私も書いてみたくなったので、以下のルールでまとめてみる。

  • 「そこまで有名ではない」と私が判断した映画が中心。
  • ただしそもそも私は映画に全然詳しくないので、私だけが知っている超マイナーな作品はひとつもない。映画に詳しい人なら8割〜10割見ている程度、映画をあまり見ない人でも1〜2つくらいは見たことがあるくらいのラインナップになっているはず。
  • 思いついた順に書くので年代はバラバラです。

 

1. 血煙高田の馬場(決闘高田の馬場)(マキノ雅弘監督 / 1937年)

大好きな映画で年に一度は見る。阪東妻三郎の圧倒的な輝きをはじめ、異様な祝祭感のようなものが映画全編を彩っていて、見るたびに「幸せだなあ」と感じる。阪妻が決闘に向かって走っていくシーンはとにかくただごとではなく、いろいろな意味でいまこんなものは絶対に撮れないだろう。私が見ているのは戦後に再編集された『決闘高田の馬場』のほうかもしれない。

 

 

2.牛泥棒(ウィリアム・A・ウェルマン監督 / 1943年)

西部劇の黄金期のはじまりくらいの年代に作られたとは思えない、冤罪と正義と群集心理をテーマにした異色作品。集団心理により牛泥棒の汚名を着させられていく過程が胃がキリキリするほどのサスペンスになっていて、派手な銃の撃ち合いよりもよほど手に汗を握る。

 

 


3.失われた週末(ビリー・ワイルダー監督 / 1945年)

ワイルダーはコメディよりもノワールのほうが好みで、最高傑作はまあ『サンセット大通り』だと思うのだが、『失われた週末』のほうが好き。1945年の段階でアルコール依存症の話をこれほどの解像度で描き、息もつかせぬエンターテインメントにしているあたりがすごい。

 

4.エル(ルイス・ブニュエル監督 / 1952年)

『失われた週末』のアルコール依存症と同様、現代の病と思われがちなモラルハラスメントを70年前の時点で恐ろしいほどの精度で描いており、嫌な思いをしながらも目を離せずに見続けた末にあのラストに至る。優れた表現者の感性は、時代を超えて世界の真実を捉えてしまうのだ。

 

5.生きものの記録(黒澤明監督 / 1955年)

黒澤では『乱』と迷うがこちらをベストに挙げる。原爆への恐怖を、原爆被害ではなく原爆へのオブセッションを通じて描くという、極めて現代的な構成の作品。テーマは社会派だが、三船と志村の名演が素晴らしくエンターテインメントとしてすべてのシーンが面白い。そしてなんといっても、あの精神病院で起きる一連の出来事。

 

 

6.赤毛(岡本喜八監督 / 1969年)

岡本喜八は「日本の映画監督で一番好き」と言っていいくらいどの映画も好きなのだが、『赤毛』は中でも偏愛している映画。権力に虐げられるやるせなく煮詰まった感じが大爆発するラストは、圧巻。

 

 

7.人斬り(五社英雄監督 / 1957年)

岡本喜八と並ぶくらいに好きなのが五社英雄で、『人斬り』は緩い部分も多いのだが勝新太郎・仲代達矢・石原裕次郎に加えて三島由紀夫までもが出るというオールスターキャストで見ているだけで幸福な気持ちになってくる。

 

 

8.切腹(小林正樹監督 / 1969年)

『人斬り』とは一転して、とある武士の切腹を巡るサスペンス。静かな緊張感が全編にわたってみなぎっていて、それがクライマックスの立ち回りまで続くのがすごい。こんなチャンバラ(と言ったいいのか)は見たことがない。

 

 

9.パリ猫ディノの夜(アラン・ガニョル他監督 / 2010年)

時代劇のことばかり書いていたら、ふとアニメについて書きたくなった。本作はパリの夜にうごめくマフィアを描いたノワールに、街を徘徊する猫が絡んでくるという変わったタッチのアニメーション。インサートされるマジック・リアリズムのような演出も決まっていて、独特のチャームとクールネスがある。

 

 

10.ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん(レミ・シャイエ監督 / 2016年)

海外アニメというと本作も忘れがたい。19世紀のサンクトペテルブルグに生まれた少女が北極点を目指すロードムービー。色使いとタッチが素晴らしく、過酷な物語にもかかわらずあまりの美しさに見るたびに落涙しそうになる。

 

 

11.マイマイ新子と千年の魔法(片渕須直監督 / 2009年)

この流れで日本アニメのフェイバリットも。『この世界の片隅に』が有名な片渕監督だが、私はこちらのほうが好き。少女から見える山口の防府を丁寧に描いていて、何気ないシーンまでもがみずみずしい。クライマックスの優しさは、何度見ても涙ぐんでしまう。

 

12.冬の小鳥(ウニー・ルコント監督 / 2009年)

韓国映画の中でも一番好きといっていいくらい好きな作品。児童養護施設で過酷な生活を送る少女の世界を、小鳥というモチーフを使って丹念に掘り下げている。素晴らしい演技を見せているのは子役時代のキム・セロンで、彼女を喪った哀しみはいまでも私の中にある。

 

 

13.味園ユニバース(山下敦弘監督 / 2015年)

山下敦弘は新作が公開されるたびに劇場に見に行く監督のひとりだが、特に偏愛しているのは本作。渋谷すばるが『古い日記』を歌い出すシーンの素晴らしさもさることながら、なんといってもステージパフォーマンスを繰り広げる赤犬が輝いている。実際の味園ユニバースは昨年閉業してしまったが、本作を見てから一度行ってとても楽しかった。フィクションは現実への扉を開いてもくれる。

 

 

14.ピープルvsジョージ・ルーカス(アレクサンドレ・O・フィリップ監督 / 2010年)

世界最大のカルトムービーである『スターウォーズ』がどのように人々や世界を変え、その影響力の余波(あるいは返り血)が創造主であるルーカスにどう及んだかを描くドキュメント。終始笑いながら見られるゴキゲンな作品だが、その『スターウォーズ』もディズニーに買われてめちゃくちゃになってしまい、本作もいま見ると、プリクエルが駄作だった件でワイワイやっていたころは牧歌的だったなと思う。ここからが本当の地獄だ。

 

 


15.荒野のストレンジャー(クリント・イーストウッド監督 / 1972年)

そういえばイーストウッドが入ってないやんということで、偏愛している『荒野のストレンジャー』を。幽霊が出てきたり、街をペンキで塗り上げたりと色々と変な作品なのだが、その後のイーストウッド的な「男性性の解体」といったテーマが、まだ慣れない手つきで作中に描かれているあたりがチャーミング。もちろんマカロニ仕込みのイーストウッドの演技は満点。

 

 

16.ケープ・フィアー(マーティン・スコセッシ監督 / 1991年)

イーストウッドを入れたのでスコセッシも入れておくかということで、『キング・オブ・コメディ』と並んで偏愛している本作を。とにかく↓のポスターがただごとではない。花火とともに異常な扮装をしたロバート・デ・ニーロが登場するシーンは、笑っていいのか怖がっていいのか、初見時にどう解釈していいのか分からないままにただただ衝撃を受けた。

 

 

17.ウィズ(シドニー・ルメット監督 / 1978年)

『オズの魔法使』ももちろん好きだが、ダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンの輝きがいかんなく収められた『ウィズ』は偏愛している。マイケルのカカシはベストアクトで、とにかく天使のように可愛く、彼が踊るシーンなどは見ているだけで多幸感に溢れる。映画『マイケル』でもこのあたりのことは描かれるかと思ったが、なかったので残念。

 

 

18.未知への飛行(シドニー・ルメット監督 / 1964年)

そういえばシドニー・ルメットで偏愛しているものがもうひとつあった。相互確証破壊をテーマにした映画には『博士の異常な愛情』から『のび太と海底鬼岩城』から最近の『ハウス・オブ・ダイナマイト』まで傑作が多いが、私はこれが一番好き。電話の奥から聞こえてくるあの音が、いまだに耳にこびりついている。

 

 

19.ドッグヴィル(ラース・フォン・トリアー監督 / 2004年)

美術を廃し、舞台のようなセットで映画を描くという斬新なんだか退化しているのだかよく分からないが、とにかく忘れがたい作品。作中で描かれる群集心理のおぞましさには鬼気迫るものがあるが、途中で唐突に綺麗な讃美歌が挟まれたりと、独特の美意識があるところも好きだ。

 

 

20.さらば、わが愛 覇王別姫(チェン・カイコー監督 / 1993年)

最後はオールタイムベスト、一番好きな作品を挙げておくか。少し前にリバイバル4K上映をしていて、仕事と育児の合間に毎日のように見に行って最高だった。ストーリー、美術、演技、すべてが素晴らしい。レスリー・チャンよ、永遠に。

 

 

増田へのお返事(Mrs.GREEN APPLEの『コロンブス』について)

前段

Mrs. GREEN APPLEの『コロンブス』のMVが炎上したのを機に、以下の増田が書かれた。

anond.hatelabo.jp

 

それに私は以下のコメントをした。

【追記2】Mrs.GREEN APPLEの MV炎上はおかしい

ラス・カサスの『インディアスの破壊〜』辺りを読んでればコロンブス以降の入植者がどれほどおぞましい虐殺を行ったかが分かるし、人類全員が考えるべき暗部を能天気なPVにして上げている姿勢は私は心底不快だったよ

2024/06/13 23:12

b.hatena.ne.jp

 

それに対し、増田で以下のコメントが書かれているのを発見した。 

anond.hatelabo.jp

入植者の連中がおぞましかったら人類全員が「考えるべき」なのはなぜ?

「考えるべき」ってのは具体的に何についてどんな思考をすることなの?

結論としてどんなアウトプットを得るの?

抜粋部分は一部であり、私のコメントについて言及された部分はもっと長いので詳しくは上記エントリを参照してほしい。以下は、このコメントへの返信。

 

虐殺と「非人間化」について

コロンブスの新大陸発見、それに続くコンキスタドールの入植が行われたことで、どれほど凄まじい虐殺が起きたかは、いくつも文献が残っている。もっとも読みやすいのはカトリック司祭であったバルトロメ・デ・ラス・カサスが記した『インディアスの破壊についての簡潔な報告』であり、これはコロンブスが指導した数千人単位の虐殺を直接的に描いたものではないが、彼の地でどれほどおぞましく凄惨な虐殺が行われたのかの詳細なレポートであり、広く読まれるべき書籍であろう。

www.iwanami.co.jp

この件から私が考えるべきだと思うのは、虐殺が発生する際に必ず登場する「非人間化」という人間の心理機序についてである。

例えば1994年ルワンダ虐殺においては、「ツチ族はゴキブリである」というメッセージがラジオで唱えられることで、「非人間化」のプロセスが進行し、80万人から100万人と言われる大量虐殺が発生した。

ナチス政権下のドイツで唱えられていたのは「ユダヤ人は劣等種族である」というメッセージだ。こういった観念が社会の隅々まで根を張ることで、600万人とも言われる大虐殺が発生した。

そのユダヤ人の国家であるイスラエルで唱えられているのが、「パレスチナ人は動物だ」というメッセージである。「私たちは人間の顔をした動物と戦っている(ガランド国防省)」「これは野蛮人に対する文明の戦いだ(ネタニヤフ首相)」「怪物を根絶やしにする準備はできている(同首相)」。いまガザがどれほどの惨状にあるかは、書くまでもない。

非人間化のプロセスは、民族や国家といった巨大な物語における文脈だけではなく、極個人的な内面においても発生する。例えば、2016年に相模原市知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた、45人の殺傷事件である。被告は犯行の動機のひとつとして「私が殺したのは人ではない。〈心失者〉である」という言葉を残している。被告の心理においても「非人間化」のプロセスが働いていたことの証左であろう。

コロンブスの入植から考えるべきなのは「人間の内面で非人間化が発生すると、殺人に対する心理的障壁が取り払われ、どこまでも残虐な行為が許容されてしまう」という人類共通の心理機序についてだ。

入植者の連中がおぞましかったら人類全員が「考えるべき」なのはなぜ?

コロンブスコンキスタドールの虐殺は決して過去の話ではなく、条件が整えば人間は誰しも虐殺をはじめるからである。現にイスラエルでは現在進行系で大量虐殺が発生している。おぞましい歴史を繰り返さないためにも、普遍的な心理機序について考え、内省する準備をするべきだと私は考える。

「考えるべき」ってのは具体的に何についてどんな思考をすることなの?

結論としてどんなアウトプットを得るの?

上記に記した「非人間化」のプロセスが我々の内面に存在していることを知り、その危険性を認識することである。このような思考を積み重ねることで、「己の内面において非人間化が発生した場合には、それを検知し踏みとどまる」「他者において発生した場合には、その思考を思いとどまらせるために働きかける」など、行動面においても変化が起きれば尚良いだろう。

 

「まずアメリカに言え」について

それはまずアメリカに言えよ。コスプレコロンブスなんかより。

これはいわゆる「ウイグル話法」という詭弁のテクニックであり、特に反論をする必要性を感じない。今回問題となっているのはMrs. GREEN APPLEの『コロンブス』というMVについてであり、それを批判することと、過去のアメリカの所業を批判することは背反する問題ではない。

また私は過去のブコメにおいて、繰り返し非人間化のプロセスを取り上げ、その文脈でコンキスタドールの入植についても言及している。「まずアメリカに言え」とまで言うのなら、「まず私が書いたものを読め」という話になろう。以下は例示。

アステカ文明に存在した『テスカトリポカの祭り』では優秀な若者が1年間贅沢な生活をしたあと生贄に捧げられていた「これは怖い…」「なぜイケメンを?」

佐藤究のテスカトリポカで読んだな。アステカの生贄よりも1万倍怖いのがその後のスペイン人による侵略と大虐殺で、人類の本質が野蛮なサルであることを思い出させてくれる

2023/06/20 06:16

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宇多丸 関東大震災と朝鮮人虐殺を語る(2023年9月1日)

私含めたホモサピエンスは、元来野蛮で邪悪で人を虐げることが大好きな生命体なので、アンチパターンを繰り返し学ばないと容易に虐殺を始めてしまう。歴史修正が相次ぐこの流れに本当に危惧を覚えている

2023/09/02 06:26

b.hatena.ne.jp

Twitterが地獄、誰のせいで死んだか犯人探し

相手を怪物化して死ぬまで追い詰めるのは人類共通のバグであって、ガザやナチスドイツでの虐殺も煎じ詰めると同じであろう。群としての人類はこれをたぶん克服できないので、距離を取るしかないよな

2024/01/29 21:03

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関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する動きを憂う

人類の歴史は虐殺の歴史であって、私も環境次第では容易に殺す側に回る。我々の野蛮性を統御するには過去から学ぶしかなく、「日本人は素晴らしい」的な粗悪なフィクションを信奉しているとまた虐殺を繰り返すだろう

2023/09/02 11:03

b.hatena.ne.jp

反論する価値はないと感じたが、その上で書くと、

過去入植者所業のおぞましさによって現代人間が裁かれるべきだとお前らが信じるならば、

まずアメリカに向かって「お前らは永遠に能天気表現とか一切するな」って言ってこいよ。

アメリカアメリカ人がちょっとでも明るい顔をしてる限りはまずそっちにクレーム付け続けるべきだろ。

アメリカに言え」の意味がこの短いセンテンスの中でも混乱しているのだが、増田は「アメリカ人のクリエイターが今回のMrs.GREEN APPLEのような表現をすること」「アメリカ人が侵略された土地でのうのうと生活していること」の両者をごっちゃにして語っており、どちらを問題視しているのだろうか。前者のような表現がなされたのなら、私は今回のようなブコメを書くだろうし、後者はそもそも全く次元の違う問題である。

現代アメリカ人の多くは、侵略された土地に住み、生活を営んでいる。そのことは問題視されるべきことなのだろうか。

そもそも我々人類は、その多くが侵略によって奪い取った土地に住んでいる。有史以来の分かっている範囲だけでも凄まじい数の侵略が行われており、それ以前の時代になると、語り継がれていない侵略や虐殺が多く行われていただろう。人類の誰もが、そういう血塗られた過去とは無縁と言い切ることは、原理的に不可能である。

我々は分かっている・分かっていないに拘らず、侵略の歴史を背負った上で生まれ落ち、血塗られた過去と大量の死を基盤のひとつとして、生活を営んでいる。そういった人々に対し「過去の罪を完全に清算し、元いた土地に帰れ」などと言っても、そんな行動は不可能なので意味がない。アメリカ人をスペインに無理やり強制移住させるなどしてしまったら、それこそ凄まじい暴力の発露となってしまうだろう。

我々がするべきことはそんなことではなく、過去の罪を少しでも清算しつつ、歴史を知り、その中から普遍的な原理を導き出し、未来に向けて繰り返さないことにあるだろう。私の主観では人類全体においてそういう動きが足りないし、私個人においても全く足りない。とはいえ、私の当該ブコメはそういった背景のもとから書かれており、故に「まずアメリカに言え」という増田の論は、私には受け入れられなかった。

私への言及の終盤は単なる誹謗中傷なので、反論する必要性を感じない。以上がお返事。

 

Mrs.GREEN APPLEのMVについての感想

以下は余談、MVを見た私の感想。

  • MVを見た感想としては、不快極まりなかった。これは私がコロンブスの悪行に対する前知識があり、MVとそれを重ね合わせて見たためである。また実在の人物を扱っている割に取材の跡が感じられず、あのMVが出てきたということはWikipediaを読む程度の調査も怠っているか、知った上で無視していると判断し、不快感が募った。
  • またベートーヴェンとナポレオンの扱いの雑さ(ベートーヴェンがナポレオンに対して抱いていたアンビバレントな感情を無視し、友人のように並べる無神経さ)も大変気になり、他者への敬意に欠ける人々だと考えた。
  • ただこれは私の感想であり、彼らに対して「MVを発禁しろ」「もっと歴史を勉強しろ」などという要求をするつもりはないし、実際にしていない。今回の件に対しては、不快感の表明程度は許容されるが、行動の是正を要求するほどの事案ではないという私の中での判断があるためである。もちろんこれは感覚的なものであり、人により引かれるラインの位置は異なるだろう。

 

こちらからは以上です。

増田へのお返事(超絶ゆるふわ反出生主義の話)

以前増田で質問をいただいたのだが、それに回答するのを忘れていたので書く。元増田の目に入るかよく分からないが、まあ届くことを祈って。

 

いただいた質問

・反出生主義に「友達が生まれてきたことを否定すると私が悲しい。そんな加害を許す気か」といった文脈で怒ってたけど、それじゃ悲しむ人がいない人は生まれてこなくてもよいということか。それは(あなた的に)危うい思想ではないか

 

https://anond.hatelabo.jp/20220124024841

 

これだけだと何のことか分からない上に、私の意図が増田に伝わっていないので下記にまとめる。

 

経緯

まず、id:Ta-nishiにより以下のエントリが書かれた。

ta-nishi.hatenablog.com

 

私なりに要約すると

  • 生まれてくることに人間は原理的に同意できない。
  • なので、出生を事後的に破棄できる仕組みが次善策として必要である。
  • それは安楽死である。

という内容だ。

 

これに対し、私は以下のブコメをした。

現代社会に蔓延する「うっすら反出生主義」と、「産まされてきた」ことに対する契約破棄権としての「安楽死」 - 自意識高い系男子

私は親友が安楽死をしたら「「産まれてこなければよかった」と感じさせられてしまうような、過酷で悲惨な」絶望を感じる可能性があるけど、それは私の同意なくやっていいの? 出生と何が違うのだろう?

2021/05/31 17:35

b.hatena.ne.jp

 

これに増田は傷つき、フォローを外したとのことだった。ここまでが経緯。

 

お答え

まず増田に文意が伝わっていないと思うのは、私は「友達が生まれてきたことを否定すると私が悲しい。そんな加害を許す気か」というような文脈での発言はしていない。

私が言いたいのは、以下のようなことだ。

  • 「同意なしで子供を産むと、子供を苦しめる可能性がある。そのような行動を取るべきでない」という主張がある。
  • だが安楽死にしても、死にゆく人の関係者全員に同意を取ることなどほぼ不可能であり、安楽死を選ぶことで誰かを激しく傷つけ、苦しめる可能性がある。これは前記の主張と矛盾しているのではないか。

なので「私が嫌な思いをするから、私の友人は自殺=私への加害行為をするな」というお気持ち表明ではなく、もう少しロジック寄りの話をしたつもりであった。

増田の書いている「悲しむ人がいない人は生まれてこなくてもよいということか」は前段の誤解から演繹して出てきた主張であって、問題設定自体がピンとこないので特に書くことはない。以上がお返事。

 

超絶ゆるふわ反出生主義の話

以下は上記のブコメの補足。あまりまとまりのない超絶ゆるふわな話なので適当に読んでほしい。

反出生主義についてはきちんと勉強しているわけではないのでぼんやりとした認識しかないのだが(のっけからふんわりとしている)、私は概ね以下のような考えかただと認識している。

  • 子供は生まれることに原理的に同意できない。
  • 子供の人生は苦難に満ちたものになる可能性があり、「生まれたくなかった」と子供が思うかもしれない。
  • 出産とはそのような取り返しのつかない行為なので子供を作ってはいけない。

Wikipediaを見ると膨大な内容が書かれており、私の知能では全容を理解できないので、とりあえず上記にまとめた事項に対してのみ所感を書く。

人間は他人の同意なしに色々な活動をしている

まず、そもそも、出産に限らず、人間は他者の同意なしに様々な活動を行っている。

私は路上にいる人の同意なしにその道を歩くし、コンビニの店内にいる人の同意なしにハイチュウを買う(さっきまでスイカ味を食べていた。美味)。著者の同意なしに本も読むし、いまこれを読んでいるあなたの同意なしに書きたいことも書く。

そして人間のあらゆる活動は、誰かを傷つける危険性を孕んでいる。例えば私が子供を連れて街を歩いていたら、たまたま不妊治療に苦しんでいる女性がそれを見て、どうして自分には子供がいないのかと激しく傷つくかもしれない。何かを書くという行為にしても、読んでいる読者が苛立ち傷つき、被害を受ける可能性は常にある。歩く、書く、話す、買う、呼吸をする、外出する、家にいる……あらゆる活動から加害可能性を完全に排除することは不可能であり、〈加害〉(括弧付きの加害)は、同意なしに、一方的に行われる。

これは安楽死も同じで、誰かが安楽死を選んだら、そのことによって激しく傷つき、苦難を覚える誰かがいるかもしれない。その可能性がある人間すべてに「安楽死をしてもいいか」と同意を取ることは不可能である。子が出産に同意することができないように。

人間は日々、他人を傷つけるかもしれない行動を、同意なしに、一方的に、暴力的に行使し続けている。これは子供を作ることだけに限らない。

 

では殺人は?

だからといって「人間はどうせ誰かを傷つける可能性があるから」と、無制限にあらゆる行動が免罪されるわけではない。多くの社会では同意なしに殺人をやることは禁止されており、同意があっても日本では犯罪になってしまう。

「道を歩くこと」と「殺人」では何が違うのか? これは……

  • 行為が相手に対する加害である危険性が高い
  • 行為が相手に損害を与えるダメージが大きい

という、要するに程度の問題であろう。私が人を殺したとして、殺された側の人が「死にたて死にたくて爆発しそうになっており、私に殺されることを喜ぶ可能性」はあるのだが、一般的にそれは低いと推定される。

街を歩くのも殺人も、他者の同意なく行われるが、加害可能性の高さと被害の大きさにおいて殺人のほうがはるかに深刻であることは言うまでもない。ゆえに後者は社会的に禁止され、街を歩くのは許されている。

では出産は?

このように考えると出産の問題点は「同意なしで行われている」というよりも、「同意なしで行われた結果、相手に損害を与える可能性が高く、与えてしまったときの被害が大きい」ということになるだろう。ではその程度は、どのようなものか?

人生は複雑系なので「子の被害」をどう数値化すればいいのかという問題があるが、例えば「自殺対策に関する意識調査」という内閣府の調査がある。これを読むと「自殺を検討したことがある」人の割合は、概ね25%程度のようだ。4分の3程度の人は自殺を検討したこともないとのことなので、彼らが「生まれないほうがよかった」とも思っていないであろうことは類推される。この25%を大きいと捉えるか少ないと捉えるかは個々人の解釈によるだろうが、少なくとも「子供が苦しむ可能性があるから」と出産自体を禁止してしまっては、75%の人々の「生まれてよかった」という意思は犠牲になってしまうわけで、これはバランスが悪いだろう。社会としては「25%も希死念慮を抱える可能性があるから、こんな行為は禁止すべきだ」という方向に向かうより、その希死念慮を解消するために社会的にどういうアプローチができるのかを考えるほうが建設的だと私は思う。

また「自殺を検討したことがある」と「生まれないほうがよかった」との間には大きな溝があるだろう。かくいう私も10代20代のころは希死念慮がひどく、自殺を検討したことは100回200回では利かないし、当時安楽死が認められていたなら死んでいた可能性もある。そんな私も加齢とともに徐々にセルフコンパッションができるようになり、ぼちぼち生きられるようにはなってきたので、いまは希死念慮に悩まされることも少なくなってきた。「勝ち組はようござんしたね」と言われると困ってしまうのだが、人生とは長いもので、ある時点で強い希死念慮を抱えた人間が、生涯に亘って「生まれたくなかった」という自意識を抱え続けるのかというと、割合は25%よりもかなり低くなることが推定される。

程度問題なので個々人により印象は異なるだろうが、私はこの程度の数字であるならば「出産自体を禁止せよ」という立場には与しない。「加害する可能性があるから表を歩くな」と言わないのと同じであるし、同様の理由から、安楽死が法整備されてもたぶん反対はしないと思う。

id:lady_jokeとid:lady_jokerは別物です その2

これまでの経緯

lady-joker.hatenadiary.jp

lady-joker.hatenadiary.jp

 

その後ご本人によると、id:lady_jokeはブックマークの使用が停止になった模様。経緯は以下のブログに詳しい。

abyss.hatenablog.jp

事実関係だけを記して本件はクローズします。

 

私がやったこと

  • 以前(3ヶ月前くらい? よく覚えておらず)にid:lady_jokeのアカウントを発見し、意図がよく分からずに困惑。ブクマを非表示にし、放置。
  • この増田(https://anond.hatelabo.jp/20220123205536)を機に、私とid:lady_jokeを混同している人が多々いることを知り、混同されるのは困ると考える。
  • 注意喚起のために上記のブログをアップ。id:lady_jokeのブックマークページからはてなに通報。
  • 今後同じようなことがあると困るので、アイコンを変更。
  • 1/25、BANされているのを確認。
  • はてなからの連絡はないので、BANの経緯などは不明。

私の考え

  • id:lady_jokeに対しては当初からいまに至るまで怒りや嫌悪感などはなく、いまだに意図がよく分からないという困惑のみがある。
  • 以前のアイコンは気に入っていたが、いまのアイコンのほうが気に入っている。

今回起きたことからの教訓

  • id、アイコンの両方を似せていると、そこに悪意がなくともBAN対象になる可能性があるので、BANされたくない場合はどちらかを変えるようにしたほうが無難。

以上です。

はてなのアイコンを変更しました

前回のエントリからの流れで、はてなのアイコンを変更した。前のアイコンは気に入っていたつもりだったのだが、絵師さんに発注して作ってもらうとなるとワクワクが止まらなくなり、結果的にすごく良かった。

f:id:lady_joker:20220125134519p:plain

ブックマークを挟んでいる私のアイコン。QOB(クオリティ・オブ・ブックマーク)が爆上がりしそうな最高のアイコンとなった。ありがとうございました!

id:lady_jokeとid:lady_jokerは別物です

 

anond.hatelabo.jp

 

私のパロディアカウント? のようなものが出ていると少し前に知って、世の中にはよくわからんことをする人もいるもんだなとミュートして放置していたのだが、思いのほか間違える人が多いようなので注意喚起します。b:id:lady_jokeと私は別物ですのでご注意ください。はてなにも通報しておきますが、この手のことには対応してくれない印象があり、期待薄でしょう。

とはいえ、私のアイコンはicon-rainbowというサイトのフリー素材を使っており……

icon-rainbow.com

idのlady_jokerにしても敬愛する髙村薫先生の傑作『レディ・ジョーカー』から思い切りパクっているので、そういうアカウントがパクられても文句を言うのもどうかなという気もしています。

気に入っているアイコンなのだが、はてなの対応がなされない場合は混乱を招きそうなのでアイコンを変えるなどするやもしません。

 

続編

lady-joker.hatenadiary.jp

id:floyd0へのアンサー、藤本タツキさんをめぐる話

ここまでの経緯

藤本タツキさんの漫画『ルックバック』を契機に、以下のブログエントリが書かれた。

www.byosoku100.com

 

私はこれに憤りを覚え、以下のようなブックマークコメントをした。

デザイン盗作・「ルックバック」の藤本タツキは天才ではない。あるいは少年ジャンプの才能枯渇問題 - フロイドの狂気日記

こういう何の才能もなく、何の作品も生み出さない人間が、血反吐吐きながら作品を作っているクリエイターに対し、作品批評の範囲を越えてツバをはくのが私は一番嫌い。イキるなって、鏡見てから言えバーカ

2021/07/20 21:52

b.hatena.ne.jp

 

その結果、ブログ主から以下のような反論があった。

www.byosoku100.com

以上がここまでの経緯であり、本エントリは上記エントリへの返信となる。

 

論点

ここまでで問題となっている論点がふたつあると思うので、一旦整理したい。

  • 何がパクリで、何がパクリでないのか。
  • 藤本タツキは天才なのか。

id:floyd0のエントリを引きつつ、ひとつずつ私の見解を書く。

 

勝海麻衣さんと藤本タツキさんの違いについて

東京五輪エンブレムをデザインした佐野氏、美人銭湯絵師・勝海麻衣、そして天才漫画家・藤本タツキ、それぞれのパクリデザインは何が違うんでしょ~か?

https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/21/060000

 

まず、佐野さんについてはブコメを検索してみたが、私は言及していなかった。私が当時どういう評価をしていたのかもよく覚えていないので割愛し、勝海麻衣さんの盗作騒動について触れる。

前提として、イラストと漫画を〈盗作〉という土俵で比較するのは無理があると私は思う。イラストは一枚のデザインそれ自体で完結するシンプルなものであり、一方で漫画はストーリー、キャラクター、デザイン、絵、台詞、地の文、暗喩、構図など極めて複雑で巨大なものの集合体だからだ。俳句と小説で考えると分かりやすいが、書いた俳句がすでにあるものほとんど同じであれば盗作が疑われるが、三百ページの小説のうち数行が既存のものと被っていたからと、その作品自体が盗作ということにはならない。

藤本タツキさんがキャラクターデザインの仕事を単体で請け負い、その上でサムライソードのイラストを提出してお金をもらっていたら、それは勝海さんと同じく、盗作が疑われても仕方のない事態だと考える。だがid:floyd0が指摘しているのは巨大な漫画の一部の類似であり、そこだけを文脈関係なく抜きだしてイラストの仕事と比較するのは比較対象として成立していない。

パクリが一部なら許されるのか?

一方で一部分にせよ、他の作品から借用しているのは明白なのだから、藤本タツキのやっていることは問題であるという指摘もあり得るだろう。私はこの指摘に関してはふたつの見解を示したい。

まずは、全体のバランスで見るべきということだ。デザインについては詳しくないので詳しい人がいたら指摘してほしいのだが、私の目から見ると『チェンソーマン』全編には斬新な絵やキャラクターデザインが数多あり、id:floyd0の言うように

キャラデザにオリジナル力がない

https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/20/053000

デザインの引き出しやセンスがなくて努力でカバーできないからパクっとるんやろ

https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/20/053000

とは感じなかった。

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(『チェンソーマン』6巻)

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(『チェンソーマン』8巻)

こういうキャラクターもデザインも極めてオリジナルで独創的だと思うのだが、このあたりも〈デザインの引き出しやセンスがなくて努力でカバーできないからパクっとる〉とid:floyd0は主張するのだろうか。『チェンソーマン』11巻には上記のような場面がたくさんあるため、私はそうは思わなかった。

創作におけるサンプリングについて

もうひとつは、近年では創作においてサンプリング的な手法が常道のひとつになっているということだ。

どんな作品でも完全なオリジナルとして単体で屹立することはできず、必ず先達の作品の影響下にある。いかに換骨奪胎し、新たなオリジナリティを創出していくかが大切だーーというのはよく言われることだが、最近は(〈タランティーノが出てきてから以降は〉と言っていいのか分からないが、たぶん時期的にそのあたり)オリジナルの要素をあえて換骨奪胎せずにそのままぶち込み、その使用法によってオリジナリティを獲得するサンプリング的な手法も当たり前のように行われている。

ヘルボーイ』の話が出たが、監督のギレルモ・デル・トロこそサンプリングを多用する作家であろう。彼の代表作である『シェイプ・オブ・ウォーター』では、ヒーロー役の〈彼〉に『大アマゾンの半魚人』のデザインがほぼそのまま投入されている。

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シェイプ・オブ・ウォーター

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(大アマゾンの半魚人)

シェイプ・オブ・ウォーター』は『大アマゾンの半魚人』への返歌としての映画なのだから、あえて同じデザインを使うの当たり前だという反論もありえるだろうが、単に好きだからという理由でのサンプリング引用も数多行われている。有名なのは、クェンティン・タランティーノの『キル・ビル』。

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キル・ビル

ユマ・サーマンの着る黄色いトラックスーツは言うまでもなくブルース・リーの『死亡遊戯』からの引用だが、別に作品上これを着なければならない必然性があるわけでもないし、タランティーノがアイデアに困ってパクってきたわけでもない。単に好きだからそのままぶち込んでいるのである。

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ブルース・リーはみんなのヒーローなのでよくサンプリングされる。これは園子温の『地獄でなぜ悪い』の一幕。

藤本タツキさんの〈サムライ・ソード〉の造形はパクリなのか?

私はパクリではなく、タランティーノがやっているような「好きだから」のサンプリングだと感じた。作者が参考作品として『ヘルボーイ』を上げているからというのもあるのだが、『チェンソーマン』全体を読むと、作者が先行作品の引用の濃淡をきちんと使い分けていると感じたからだ。

主人公の造形からしてもそうで、チェンソーで戦う男の元ネタはトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』だろうが、藤本さんはこれを巧みに換骨奪胎し、チェンソーマンというオリジナリティの高いキャラクターをしっかり作り上げている。

id:floyd0が賛辞している〈レゼ編〉にしても、台風の夜に学校で裸になりプールで泳ぐというのは、おそらく相米慎二さんの『台風クラブ』からの引用だろう。狂乱に近い熱狂の夜を描いた『台風クラブ』を引きながら、藤本さんは静謐な恋の予感を描いてみせ、そこから怒涛の展開につなげていく。このあたりもきちんと換骨奪胎している。

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(『チェンソーマン』5巻)

 

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台風クラブ。画像が見えづらいが、1枚目がプールで泳ぐシーン、2枚目が土砂降りの中全裸で踊るシーン、3枚目が学校の教室から外の雨を眺めるシーン)

このように藤本タツキという人は、先行作品を上手くオリジナルの要素に落としていく能力を持つ作家だ。ではなぜクロエネンとサムライ・ソードの類似が発生したのか。私はあえて直接的なサンプリングをして、作品のアクセントとしたのだと解釈した。好きなものを意図的にそのままぶち込んで、作品に濃淡をつけたのであろう。私はこれ自体は面白い試みだと思う。

もちろんこれは私の解釈であり、

「あー!サムライソードのデザイン浮かばねえわ!ヘルボーイからパクったらいっかwこれは人気出るぞお……デザイン考える時間減って寝れるしなw」

https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/21/060000 

 と藤本さんが考えた可能性もあるだろう。ただしこういった議論を踏まえずに、類似のデザインが出てきただけでパクリと決めつけるのは、id:floyd0の解釈の引きだしが少なく、単視点的なためだと私は考える。

藤本タツキさんは天才なのか

ここからが後半戦。藤本タツキさんは天才なのか否か。

これは議論をするのが不毛というか、誰が天才なのかなど定義のしようがない。それでは話が終わってしまうのでひとまず私の定義を述べるが、私は作品を書けるだけで天才だと思っている。同じようなことを繰り返し述べているので、これらのブコメも見てほしい。

夢をかなえて小説家になったけど仕事がまったく楽しくない

せっかく天才に生まれたのに人生を楽しめないのはもったいないな。私は作る人が大好きなので、作品を書き続ける方向で楽しさを見つけ、多くの読者を幸福にしてほしいよ

2021/07/10 17:48

b.hatena.ne.jp

七年ラノベの賞に一次落ちし続けてたんだけど、やけになって純文学の賞に応募したらなぜか最終選考まで行った

おめでとう。作品を書けるだけでも天才なのだが、最終選考に行くのは超天才。純文やるからには芥川賞めざしてくれ。増田の姿をメディアで見られる日を期待している

2021/06/18 07:10

b.hatena.ne.jp

光宗薫、活動休止からボールペン画家に「万年床で1日15時間描いた」 | bizSPA!フレッシュ

光宗さんはAKBの映画で倒れていたころから気になっている。ものを作れる人は天才。応援したい

2021/02/23 08:46

b.hatena.ne.jp

執筆経験なしアラサーが半年間で二作完成させて電撃小説大賞に投稿するまで

書ける人はそれだけで天才。受賞まで頑張ってほしい

2020/04/11 10:57

b.hatena.ne.jp

3年ぐらいほそぼそゲーム開発してたけ ど完成しなかった件について|どんぺま|note

まあ端的に才能がないんだろね。作れる人はみな天才、作れない人は凡才

2020/02/11 21:33

b.hatena.ne.jp

小説書いてることを打ち明けた友人から指摘されて驚いた。「その感覚ヤバイ」 #才能は後天的な側面もあるのかもしれない #小説家になろう #カクヨム - Togetter

小説を最後まで書ける人は天才よ。いくら文章センスがあってもこれができなくて書けない人が山のようにいる。三流でも五流でも物を作れる人は天才で尊い。私はリスペクトする

2019/03/10 19:29

b.hatena.ne.jp

やたらと文章上手い人って何したらああなるの?

小説書いて了を打ててる時点で天才だと思う。できない人はこれいくらアドバイスしてもできないからね

2018/09/14 00:48

b.hatena.ne.jp

まあこれ自体は雑な定義ではあるし、〈作れる人〉の中にもレベルの濃淡は当然あるとは思うのだが(そういう文脈で才能という言葉を使っているブコメもあり、ややこしい。スミマセン)私は〈作る人〉と〈作ら(れ)ない人〉の間には、深い溝があると考えている。

なので私の定義から行くと藤本タツキさんは天才なのだが、id:floyd0に言わせると天才ではないという。その理由として上げられているのがこれらのものだ。

■言語能力の低さ
■キャラの造形範囲の狭さ
■世界観とその表現力の低さ
■デザインセンスが実はあまりない
■努力家ではあるけども卑怯な手を使う
■漫画力に対してテーマ性が過剰
■ファンに影響力を与えられていない

https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/22/000855 

 

(いずれも項目名のみ抜粋)

これらひとつひとつが本当にそうなのかはきちんと検討されるべきだろうが、あまりに長くなるのでここでは割愛。ということは「言語化能力が高く」 「キャラの造形範囲が広く」「世界観とその表現力が高く」「デザインセンスがあり」「卑怯な手(オマージュ)を使わず」「漫画力に対してテーマ性がちょうどよく」「ファンに影響を与えられる」人を、id:floyd0は天才と定義しているのだろうか。私はそこまで解像度の高い定義をしているとは思えない。

id:floyd0は、単にフィーリングによって作家を天才/天才ではないと分け、後者の悪い点を指摘しているだけなのではないか。

なぜなら、このような指摘はしようと思えばいくらでもできるからだ。例えばid:floyd0が天才と定義している冨樫義博「霊丸はどどん波のパクリであり、主人公の必殺技にそういうものを使うなどオリジナリティが欠如しており、天才ではない」「連載を平気で落とす作家はプロ意識に欠けており、天才ではない」などいかように言うこともできるだろう。両者に明確な定義があるとは思えず、上げられている項目を定量的に評価できるとも思えず、単になんとなく分けているにすぎないと感じる。

id:floyd0はなぜあのようなエントリを書いたのか

ここからは私の推測が混ざる。id:floyd0はなぜ冒頭のエントリを書いたのか?

おそらくは以下のような動機だと、私は感じた。

  • 自分は藤本タツキを評価していない。
  • そんな作家が天才と褒めそやされているのが気に食わない。
  • 藤本タツキが天才でない理由をあげつらって、上記の流れに水をかけたい。

実はこういう妬みのありかた自体は、私も理解はできる。ある作品が大げさな惹句や賞賛とともにSNSの海に拡散していくムーブメントには私も辟易しているし、それが自分の評価と食い違っていて苛立った経験は私にもある。ある程度フィクションを読み込んでいる自意識のある人間は、そうでない人間が大げさに称賛しているのを見て腹が立ったりもするものである。今回も「お前そこまでフィクション好きじゃないだろ」みたいな有名人が『ルックバック』を褒めそやすのを見て、なんだかなあとは感じた。

ただし〈藤本タツキが天才でない〉という結論に向かって論理を組み立ててしまったため、創作者に対して侮辱的な表現が出てくるのが私のカンに触った。

それにプロ漫画家(超一線級のSクラスではない)までがTwitterで心を動かされたとか言っている。

こういうのってモブキャラぐらいならいいんだけど、肝心なボスに使ってへーぜんとしてるわけで恥知らずなんだよな。

「呪術」しかり「チェンソーマン」しかり、演出とアイデア拝借がうまい人達を天才とは呼ばんだろ、と思うわけです。

こういう人たちが漫画描いてても全然いいけど、過剰に持ち上げられてスタンダード化してほしくないなあと思った。パクリがスタンダードとか絶対嫌でしょ。

こういう人たちと比べると、演出と画力だけで頑張ってる藤本タツキは天才とは言えない。デザインはパクるし、長期連載には耐えられないストーリー構成能力だし、キャラ設定もギャグ調じゃなければ特色がなく微妙。

パクってもいいが目立つなイキるな

(いずれもhttps://www.byosoku100.com/entry/2021/07/20/053000から引用)

新井英樹浅野いにお末次由紀あたりがSクラスでないのなら、誰がSクラスなのだろう? これも「藤本タツキ=非天才」説に向かってロジックを組み立てたため、称賛しているプロ漫画家を侮辱してしまった一例だろう。

基本的にプロダクトによって生まれた感動は、批評では打倒できない。ある人が〇〇さんは天才だと評価しているのを、批評によって傷つけようとするのは無為に終わることが多い。それこそがフィクションの、プロダクトの圧倒的なパワーだろう。評価していない作家が評価されるのが気に食わないのは分かるのだが、そこで無理にその流れを修正しようとすると冒頭のエントリのようになってしまう。創作者でない人間が創作者にこのような表現を使うことに私は苛立ち〈私は怒った、私はけなした〉となったわけである。暴言はあまりいいことではないだろうが、今後同じような事例を見たらまたやってしまう可能性はある。

最後に、ブーメランを己の頭に

以上がアンサーだが、では最後に「私は創作者を侮辱したことがないのか?」という件について触れたい。ないと信じたかったが、ブコメを検索すると恥知らずにもあった。以下である。

【ドラクエ映画】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー感想【ネタバレ】 - 博愛置場

山崎貴なんか私から見ると映画の才能なんか一切ないのだが、どれだけ駄作を世に出してもヒットして次のが作られるというのが不思議

2019/08/03 19:54

b.hatena.ne.jp

映画『ルパン三世 THE FIRST』公式サイト

私から見たら山崎貴なんか一切の才能がないようにしか思えないし、スタンド・バイ・ミーはここ10年のワーストでこれも駄作確定だろうけど、これだけ当たっているということは何かがあることは認めなければいけない

2019/07/11 19:32

b.hatena.ne.jp

これはここまで述べてきたことに対して明確な二律背反であり「バーカ」と鏡の奥から言われても仕方がないだろう。お詫びして訂正したい。山崎貴さんの作品が私は嫌いだが、山崎貴さんは天才だとは思う。

翻って『100日後に死ぬワニ』だが、この漫画は死という極めて重たいテーマを扱っていながら、その題材に対する誠実さが全然ない。この作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう、そこがもうヘドが出るくらい嫌だ。

『100日後に死ぬワニ』に激怒 - lady_jokerのはてなブログ

 

 これは去年バズったエントリだが、ブコメでも以下のような指摘を複数いただいた。そのとおりだと思うし、作者の内心を勝手に決めつけたのは私の過ちである。お詫びして訂正したい。

『100日後に死ぬワニ』に激怒 - lady_jokerのはてなブログ

怒りは理解するけど(共感はしない)、そこから作者を中傷するのはやりすぎ。死を自分の名声に利用しているなんてどこから読み取れる?自分が想いを込めて書いた漫画がバズってメディアが食いついたらそら許可するだろ

2020/03/21 15:41

b.hatena.ne.jp

検索する限りこれくらいだったが、ほかにもある可能性はあり、それらはすべて私の至らなさゆえである。作れない人間として、すべてのクリエイターに対して敬意を払っていけるよう、今後心がけたい。

こちらからは以上です。

 

追記

  • 台風クラブのキャプチャ画像を追記した(2021/07/23 5:30)