ここまでの経緯
藤本タツキさんの漫画『ルックバック』を契機に、以下のブログエントリが書かれた。
www.byosoku100.com
私はこれに憤りを覚え、以下のようなブックマークコメントをした。
b.hatena.ne.jp
その結果、ブログ主から以下のような反論があった。
www.byosoku100.com
以上がここまでの経緯であり、本エントリは上記エントリへの返信となる。
論点
ここまでで問題となっている論点がふたつあると思うので、一旦整理したい。
- 何がパクリで、何がパクリでないのか。
- 藤本タツキは天才なのか。
id:floyd0のエントリを引きつつ、ひとつずつ私の見解を書く。
勝海麻衣さんと藤本タツキさんの違いについて
東京五輪エンブレムをデザインした佐野氏、美人銭湯絵師・勝海麻衣、そして天才漫画家・藤本タツキ、それぞれのパクリデザインは何が違うんでしょ~か?
https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/21/060000
まず、佐野さんについてはブコメを検索してみたが、私は言及していなかった。私が当時どういう評価をしていたのかもよく覚えていないので割愛し、勝海麻衣さんの盗作騒動について触れる。
前提として、イラストと漫画を〈盗作〉という土俵で比較するのは無理があると私は思う。イラストは一枚のデザインそれ自体で完結するシンプルなものであり、一方で漫画はストーリー、キャラクター、デザイン、絵、台詞、地の文、暗喩、構図など極めて複雑で巨大なものの集合体だからだ。俳句と小説で考えると分かりやすいが、書いた俳句がすでにあるものほとんど同じであれば盗作が疑われるが、三百ページの小説のうち数行が既存のものと被っていたからと、その作品自体が盗作ということにはならない。
藤本タツキさんがキャラクターデザインの仕事を単体で請け負い、その上でサムライソードのイラストを提出してお金をもらっていたら、それは勝海さんと同じく、盗作が疑われても仕方のない事態だと考える。だがid:floyd0が指摘しているのは巨大な漫画の一部の類似であり、そこだけを文脈関係なく抜きだしてイラストの仕事と比較するのは比較対象として成立していない。
パクリが一部なら許されるのか?
一方で一部分にせよ、他の作品から借用しているのは明白なのだから、藤本タツキのやっていることは問題であるという指摘もあり得るだろう。私はこの指摘に関してはふたつの見解を示したい。
まずは、全体のバランスで見るべきということだ。デザインについては詳しくないので詳しい人がいたら指摘してほしいのだが、私の目から見ると『チェンソーマン』全編には斬新な絵やキャラクターデザインが数多あり、id:floyd0の言うように
キャラデザにオリジナル力がない
https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/20/053000
デザインの引き出しやセンスがなくて努力でカバーできないからパクっとるんやろ
https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/20/053000
とは感じなかった。

(『チェンソーマン』6巻)

(『チェンソーマン』8巻)
こういうキャラクターもデザインも極めてオリジナルで独創的だと思うのだが、このあたりも〈デザインの引き出しやセンスがなくて努力でカバーできないからパクっとる〉とid:floyd0は主張するのだろうか。『チェンソーマン』11巻には上記のような場面がたくさんあるため、私はそうは思わなかった。
創作におけるサンプリングについて
もうひとつは、近年では創作においてサンプリング的な手法が常道のひとつになっているということだ。
どんな作品でも完全なオリジナルとして単体で屹立することはできず、必ず先達の作品の影響下にある。いかに換骨奪胎し、新たなオリジナリティを創出していくかが大切だーーというのはよく言われることだが、最近は(〈タランティーノが出てきてから以降は〉と言っていいのか分からないが、たぶん時期的にそのあたり)オリジナルの要素をあえて換骨奪胎せずにそのままぶち込み、その使用法によってオリジナリティを獲得するサンプリング的な手法も当たり前のように行われている。
『ヘルボーイ』の話が出たが、監督のギレルモ・デル・トロこそサンプリングを多用する作家であろう。彼の代表作である『シェイプ・オブ・ウォーター』では、ヒーロー役の〈彼〉に『大アマゾンの半魚人』のデザインがほぼそのまま投入されている。

(シェイプ・オブ・ウォーター)

(大アマゾンの半魚人)
『シェイプ・オブ・ウォーター』は『大アマゾンの半魚人』への返歌としての映画なのだから、あえて同じデザインを使うの当たり前だという反論もありえるだろうが、単に好きだからという理由でのサンプリング引用も数多行われている。有名なのは、クェンティン・タランティーノの『キル・ビル』。

(キル・ビル)
ユマ・サーマンの着る黄色いトラックスーツは言うまでもなくブルース・リーの『死亡遊戯』からの引用だが、別に作品上これを着なければならない必然性があるわけでもないし、タランティーノがアイデアに困ってパクってきたわけでもない。単に好きだからそのままぶち込んでいるのである。

ブルース・リーはみんなのヒーローなのでよくサンプリングされる。これは園子温の『地獄でなぜ悪い』の一幕。
藤本タツキさんの〈サムライ・ソード〉の造形はパクリなのか?
私はパクリではなく、タランティーノがやっているような「好きだから」のサンプリングだと感じた。作者が参考作品として『ヘルボーイ』を上げているからというのもあるのだが、『チェンソーマン』全体を読むと、作者が先行作品の引用の濃淡をきちんと使い分けていると感じたからだ。
主人公の造形からしてもそうで、チェンソーで戦う男の元ネタはトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』だろうが、藤本さんはこれを巧みに換骨奪胎し、チェンソーマンというオリジナリティの高いキャラクターをしっかり作り上げている。
id:floyd0が賛辞している〈レゼ編〉にしても、台風の夜に学校で裸になりプールで泳ぐというのは、おそらく相米慎二さんの『台風クラブ』からの引用だろう。狂乱に近い熱狂の夜を描いた『台風クラブ』を引きながら、藤本さんは静謐な恋の予感を描いてみせ、そこから怒涛の展開につなげていく。このあたりもきちんと換骨奪胎している。

(『チェンソーマン』5巻)



(台風クラブ。画像が見えづらいが、1枚目がプールで泳ぐシーン、2枚目が土砂降りの中全裸で踊るシーン、3枚目が学校の教室から外の雨を眺めるシーン)
このように藤本タツキという人は、先行作品を上手くオリジナルの要素に落としていく能力を持つ作家だ。ではなぜクロエネンとサムライ・ソードの類似が発生したのか。私はあえて直接的なサンプリングをして、作品のアクセントとしたのだと解釈した。好きなものを意図的にそのままぶち込んで、作品に濃淡をつけたのであろう。私はこれ自体は面白い試みだと思う。
もちろんこれは私の解釈であり、
「あー!サムライソードのデザイン浮かばねえわ!ヘルボーイからパクったらいっかwこれは人気出るぞお……デザイン考える時間減って寝れるしなw」
https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/21/060000
と藤本さんが考えた可能性もあるだろう。ただしこういった議論を踏まえずに、類似のデザインが出てきただけでパクリと決めつけるのは、id:floyd0の解釈の引きだしが少なく、単視点的なためだと私は考える。
ここからが後半戦。藤本タツキさんは天才なのか否か。
これは議論をするのが不毛というか、誰が天才なのかなど定義のしようがない。それでは話が終わってしまうのでひとまず私の定義を述べるが、私は作品を書けるだけで天才だと思っている。同じようなことを繰り返し述べているので、これらのブコメも見てほしい。
b.hatena.ne.jp
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まあこれ自体は雑な定義ではあるし、〈作れる人〉の中にもレベルの濃淡は当然あるとは思うのだが(そういう文脈で才能という言葉を使っているブコメもあり、ややこしい。スミマセン)私は〈作る人〉と〈作ら(れ)ない人〉の間には、深い溝があると考えている。
なので私の定義から行くと藤本タツキさんは天才なのだが、id:floyd0に言わせると天才ではないという。その理由として上げられているのがこれらのものだ。
■言語能力の低さ
■キャラの造形範囲の狭さ
■世界観とその表現力の低さ
■デザインセンスが実はあまりない
■努力家ではあるけども卑怯な手を使う
■漫画力に対してテーマ性が過剰
■ファンに影響力を与えられていない
https://www.byosoku100.com/entry/2021/07/22/000855
(いずれも項目名のみ抜粋)
これらひとつひとつが本当にそうなのかはきちんと検討されるべきだろうが、あまりに長くなるのでここでは割愛。ということは「言語化能力が高く」 「キャラの造形範囲が広く」「世界観とその表現力が高く」「デザインセンスがあり」「卑怯な手(オマージュ)を使わず」「漫画力に対してテーマ性がちょうどよく」「ファンに影響を与えられる」人を、id:floyd0は天才と定義しているのだろうか。私はそこまで解像度の高い定義をしているとは思えない。
id:floyd0は、単にフィーリングによって作家を天才/天才ではないと分け、後者の悪い点を指摘しているだけなのではないか。
なぜなら、このような指摘はしようと思えばいくらでもできるからだ。例えばid:floyd0が天才と定義している冨樫義博も「霊丸はどどん波のパクリであり、主人公の必殺技にそういうものを使うなどオリジナリティが欠如しており、天才ではない」「連載を平気で落とす作家はプロ意識に欠けており、天才ではない」などいかように言うこともできるだろう。両者に明確な定義があるとは思えず、上げられている項目を定量的に評価できるとも思えず、単になんとなく分けているにすぎないと感じる。
ここからは私の推測が混ざる。id:floyd0はなぜ冒頭のエントリを書いたのか?
おそらくは以下のような動機だと、私は感じた。
- 自分は藤本タツキを評価していない。
- そんな作家が天才と褒めそやされているのが気に食わない。
- 藤本タツキが天才でない理由をあげつらって、上記の流れに水をかけたい。
実はこういう妬みのありかた自体は、私も理解はできる。ある作品が大げさな惹句や賞賛とともにSNSの海に拡散していくムーブメントには私も辟易しているし、それが自分の評価と食い違っていて苛立った経験は私にもある。ある程度フィクションを読み込んでいる自意識のある人間は、そうでない人間が大げさに称賛しているのを見て腹が立ったりもするものである。今回も「お前そこまでフィクション好きじゃないだろ」みたいな有名人が『ルックバック』を褒めそやすのを見て、なんだかなあとは感じた。
ただし〈藤本タツキが天才でない〉という結論に向かって論理を組み立ててしまったため、創作者に対して侮辱的な表現が出てくるのが私のカンに触った。
それにプロ漫画家(超一線級のSクラスではない)までがTwitterで心を動かされたとか言っている。
こういうのってモブキャラぐらいならいいんだけど、肝心なボスに使ってへーぜんとしてるわけで恥知らずなんだよな。
「呪術」しかり「チェンソーマン」しかり、演出とアイデア拝借がうまい人達を天才とは呼ばんだろ、と思うわけです。
こういう人たちが漫画描いてても全然いいけど、過剰に持ち上げられてスタンダード化してほしくないなあと思った。パクリがスタンダードとか絶対嫌でしょ。
こういう人たちと比べると、演出と画力だけで頑張ってる藤本タツキは天才とは言えない。デザインはパクるし、長期連載には耐えられないストーリー構成能力だし、キャラ設定もギャグ調じゃなければ特色がなく微妙。
パクってもいいが目立つなイキるな
(いずれもhttps://www.byosoku100.com/entry/2021/07/20/053000から引用)
新井英樹や浅野いにおや末次由紀あたりがSクラスでないのなら、誰がSクラスなのだろう? これも「藤本タツキ=非天才」説に向かってロジックを組み立てたため、称賛しているプロ漫画家を侮辱してしまった一例だろう。
基本的にプロダクトによって生まれた感動は、批評では打倒できない。ある人が〇〇さんは天才だと評価しているのを、批評によって傷つけようとするのは無為に終わることが多い。それこそがフィクションの、プロダクトの圧倒的なパワーだろう。評価していない作家が評価されるのが気に食わないのは分かるのだが、そこで無理にその流れを修正しようとすると冒頭のエントリのようになってしまう。創作者でない人間が創作者にこのような表現を使うことに私は苛立ち〈私は怒った、私はけなした〉となったわけである。暴言はあまりいいことではないだろうが、今後同じような事例を見たらまたやってしまう可能性はある。
最後に、ブーメランを己の頭に
以上がアンサーだが、では最後に「私は創作者を侮辱したことがないのか?」という件について触れたい。ないと信じたかったが、ブコメを検索すると恥知らずにもあった。以下である。
b.hatena.ne.jp
b.hatena.ne.jp
これはここまで述べてきたことに対して明確な二律背反であり「バーカ」と鏡の奥から言われても仕方がないだろう。お詫びして訂正したい。山崎貴さんの作品が私は嫌いだが、山崎貴さんは天才だとは思う。
翻って『100日後に死ぬワニ』だが、この漫画は死という極めて重たいテーマを扱っていながら、その題材に対する誠実さが全然ない。この作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう、そこがもうヘドが出るくらい嫌だ。
『100日後に死ぬワニ』に激怒 - lady_jokerのはてなブログ
これは去年バズったエントリだが、ブコメでも以下のような指摘を複数いただいた。そのとおりだと思うし、作者の内心を勝手に決めつけたのは私の過ちである。お詫びして訂正したい。
b.hatena.ne.jp
検索する限りこれくらいだったが、ほかにもある可能性はあり、それらはすべて私の至らなさゆえである。作れない人間として、すべてのクリエイターに対して敬意を払っていけるよう、今後心がけたい。
こちらからは以上です。
追記
- 台風クラブのキャプチャ画像を追記した(2021/07/23 5:30)