アドバイスおじさんに花束を

アドバイスおじさん現る

世の中には「アドバイスおじさん」という人がいて、若手の画家などが個展を開いたりするとやってきて、あなたこうしたほうがいい、ああしたほうがいいとアドバイスをしてくる迷惑な人種を指す*1GoogleでもTwitterでも「アドバイスおじさん」で検索をすると被害報告が山のように出てきて、クリエイターを苦しめているのが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

で、私の人生にもいままで現れなかったアドバイスおじさんが突如出現したのである。しかも同時にふたりも!

ときを戻そう。

こんな辺境のブログを読んでいる人はほとんどいないだろうが、先日ふと思い立ち、いままで全く縁のなかった「フィクションを書く」ということをやってみた。自己満足でやっていることであり、別に読まれなくてもいいやと思っていたのだが、少しずつ感想をくださるかたが出てきて、これは嬉しいものだなーと思っていた矢先にやつらは現れた!(たぶん先日書いた百田さんの記事がバズったので、そこから流入してきたのだろう)

ひとり目は、10年前に2冊ほどライトノベルを出したことがある元プロ(微妙にフェイクを混ぜてある)。私の作品を勝手に添削した上で、「私の教えを受けるともっとよくなります。気が向いたら連絡してください」とリンクを貼ってきたので「全く興味はありません、そんなに素晴らしいメソッドがあるならあなたが書いて大ヒットを飛ばしてください」などと返したら「善意で言ってやったのにその物言いはなんだ」と捨て台詞を吐いて去っていった。どうも投稿サイトでアマチュアを見つけてはそんなことをやっているらしい。アドバイスというよりビジネスなのかも。とりま余罪がありそうなので通報しておいた。

もうひとりに至っては出版経験すらない、ただの素人である(最初やけに馴れ馴れしく話しかけてきたのでこんな人いたっけ? とブコメを検索したら、昨年に1回だけ絡んだことがある人だった)。これは初心者がバッティングセンターで遊んでいたら、家で野球を見てるだけのおじさんが近寄ってきてもっとヘッドを高く! とか叫んでくるようなもので、地獄であろう。こちらも私の作品を添削した上で(なぜみんな添削をするのか)「あなたには才能があるからもっと書きなさい」などと言ってきたので「素人のアドバイスは迷惑なのでやめてくれ」と言ったら無言で去っていった。彼らのテンプレ行動、アドバイスおじさん講座でもあるのだろうか……

アドバイスおじさんに苦しむ人へ

こんな零細アカウントが片手間に書いているものにも現れたのだから、才能があってガンガン作っている若手クリエイターのもとにはどれほどのアドバイスおじさんが出没しているのか、考えただけでも頭が痛い。

こういう人は必ず現れるから、諦めろと言っている人までいる。

 

クリエイターがアドバイスおじさんになぜ苦しむのかというと、以下の二点だろう。

  • 他人のアドバイスを拒否するというのは、自分に向上心がないからだろうかという自責が生まれるから。
  • 相手は善意で言ってくれているのに、それを袖にする自分は冷酷な人間なのだろうかという自責が生まれるから。

私なんかはもう自他ともに認める冷血人間なので、回線切っておっ死ねなどと古代の言葉とともにブロックしてしまうのだが、繊細で真面目な本物のクリエイターが自らの内なる声に悩むのは理解できる。そんなあなたたちの真摯な内心に寄り添えればいいなと思って書く。

人には、教えを請う相手を選ぶ権利がある

当たり前のことである。

クリエイターには目指すべき理想像というものがあり、各人の山に向かって一歩ずつ登っている最中だ。その過程でもし助言が必要ならば、それを誰に求めるかを決める主導権は100%クリエイターの側にある。むしろやってくる助言をすべて聞いていたら、過酷な山では遭難してしまうだろう(哀しいことに、これで潰れる新人作家もたくさんいる)。

どこの馬の骨ともしれない人間の助言にイライラするのは、向上心がないからではなく、むしろ真っ当な向上心を持っているからである。自らの道を定め、不安とともにそれに向き合い、己の山に登り続けているからである。真剣な登山の最中、通りすがりのおじさんに「こっちに近道があるよー(ただ近道かは保証しないし、遭難しても自己責任だよね)」などと言われりゃそりゃ腹が立つだろう。

そもそも善意ではない

アドバイスおじさんの動機は善意ですらなく、ただの支配欲か承認欲求である。

大体、もしそのクリエイターを成長させたいと本心から思っているならば、もっと慎重な態度を取るはずだ。最低限でも、以下はやるだろう。

  • クリエイターが何を目指しているか、どういう意図でその線を引いたのか、なぜその音をそこに置いたのかのビジョンの共有に努める。
  • クリエイターが助言を必要としているか否かの意思疎通を図り、必要としていない場合は身を引いて見守る。助言をする場合は、信頼関係の醸成にも努める。
  • クリエイターの資質を見極める。厳しく内面に突っ込むほうがよいのか、褒めて伸ばすのがいいか、など。
  • そのクリエイターに助言をするのが自分であるべきかを自問自答し、能力や相性の面で自分でないと判断したら別の適任者を考え、紹介する。
  • クリエイターを自分色に染めすぎないよう、気になったことをすべて言うのではなく、上記を複合的に勘案し、現時点でクリエイターの成長にとって必要な言葉を慎重な態度で言う。

このプロセスをすべてすっ飛ばし、あなたはこうしなさい、ああしなさいと言うのは、そのクリエイターに影響を及ぼしたいという支配欲か、クリエイターに感謝されたいか、〈クリエイターにアドバイスできるすごすぎる俺〉を第三者に見てもらってすごいと思われたいという承認欲求であって、善意では全くない。「善意でやってるのに」と捨て台詞を吐く元作家なんかはその典型で、「善意なんだから、お前は俺にコントロールされろよ」という支配欲をゲロっているに等しい。本人は善意だと思い込んでいる可能性はあるが、それなら善意の厄介さ、運用方法くらいは学ぶべきだろう。愛してるから強姦してもいいというのはストーカーの論理であって、一般社会では通用しない。

そもそも、他人に助言できる能力がない

私に絡んできたふたりを見れば分かるが、ひとりはプロで通用せずに早々にリリースされた人間、もうひとりは本を書いたことすらない素人である。的確な助言がもしできるのなら、本人がプロとして活躍していなければおかしい。

というか、実績のある人は一方的なアドバイスなどしてこない。たとえば私が神いわゆるゴッドだと思っているところの髙村薫先生が、もし万が一私の小説を目に留めたとして、あなたはこうしなさいああしなさいと言ってくると思いますか。言ってくるわけがない。そんなに暇ではないし、メリットが何もない。アドバイスおじさんは暇であり、「アドバイスをしてクリエイターを支配したいという欲求を満たせる」という大きなメリットがある。

「いやクリエイターとしての能力がなくとも、コーチとして優れているかもしれないじゃないか」という反証が成立するケースもあるが、この場合は成り立たないだろう。前述の通り、コーチングの手続きすらすっ飛ばしてアレコレ言ってくる時点で、コーチとしても無能なのは明白だからだ。現場で培ったノウハウもない、汎用的なコーチングスキルもないのだから、そもそも助言できる段階にないだろ常識的に考えて――などとも思うのだが、たぶんこういう人らは自分の立ち位置というものがよく分かっていないのだろう。人間の認知には限界があるので、この辺は他人事ではない。

 

アドバイスおじさんに花束を

と、ここまでは悩み苦しむクリエイター向けの言葉を書いてきたのだが、一方でアドバイスおじさんの気持ちも分からないではない。鬱屈と挫折を抱えた人が、優秀なクリエイターに影響を及ぼすことでそれを慰撫しようとする気持ちは、理解はできる。私のようなクリエイターを目指してすらいない人間のところまでやってくるのはよく分からないが、支配 - 被支配的な関係を周囲に強いられて、マウントを噛ますか噛まされるかしないと他者とコミュニケーションができないのかもしれない。それ自体は可哀想なことだ。

ただ、そういった人々の受容と包摂を若手クリエイターの皆さんにさせるというのは、あまりに酷だろう。これらは福祉や医療、政治マターの話であって、個々人が背負うには重すぎる。クリエイターの皆さんにはこんなことには関わらず、物作りに精力を注いでもらいたいものだ――。

というような話を、友人たちの中でボヤいていたら、じゃあテクノロジーで解決しようと、プログラマーの友達が永遠にアドバイスできるツールを作ってくれた(美人プログラマーSちゃんありがとう!)。アドバイスおじさんが登場したら、アドバイスはここで受けつけてますとツールを紹介しろとのことだ。著作財産権放棄とのことなので二次利用はご自由に(コピペしたら動くよと言われたのだが本当に動いて感動した。プログラマーすごいね)。





クリエイターがあなたのアドバイスを必要としています。以下から送ってください。


クリエイター本人からの感謝の言葉:

 


 

すべてのクリエイターが物作りに集中でき、すべてのアドバイスおじさんの心に平穏が訪れるよう、花束を……。

*1:おばさんもいるのだろうが、私が出会ったのがおじさんであることと、長くなるので割愛。おばさんを含んだ概念として読んでください