百田尚樹と文学賞の三年間

百田尚樹さんが大きな文学賞の候補になったのは、三回。

第30回吉川英治文学新人賞(2009年)、第12回大藪春彦賞(2010年)、第32回吉川英治文学新人賞(2011年)である。

 

第30回吉川英治文学新人賞(2009年)

吉川英治文学新人賞講談社がやっている若手〜中堅向けのエンタメ文学賞で、「新人賞」と銘打っているが公募の賞ではない。文壇的には、デビューしたあとに着実に成績を残した作家が、直木賞のひとつ手前で引っかかる賞という感じか。

2009年の陣容はこれ(引用元は「直木賞のすべて」さん)

f:id:lady_joker:20200113081050p:plain

新世界より』『カラスの親指』といった、ほかの文学賞を取っている傑作が落ちる粒ぞろいの年で、百田さんは『ボックス!』というボクシング小説が候補になった。正直、受賞にかすらなかった下位落選ではあるものの、吉川新人賞はノミネートされたがっている若手が山ほどいる大きな賞で、デビューから2年、わずか3作目で候補になるというのは、いかに百田さんに実力と勢いがあり、出版社の期待も高かったかが分かる。

 

第12回大藪春彦賞(2010年)

で、次が翌年の大藪春彦賞。これが問題回であり、いまなお禍根を残している。

f:id:lady_joker:20200113081703p:plain

大藪賞は徳間書店がやっている若手〜中堅向けのエンタメ文学賞。まだ歴史が浅いこともあり、吉川英治文学新人賞の一歩下くらいの立ち位置か。大藪先生の名前を冠していることもあり、ちょっと男臭い作品が候補に上がる傾向がある。はてな的にタイムリーなのは、去年の受賞者が元・罪山罰太郎さんこと葉真中顕さんだということだ(『凍てつく太陽』、最高でしたね!)。

で、2010年の回だが、このときは『風の中のマリア』という、スズメバチを視点としたユニークな小説で候補になった。そしてこの選評で、百田さんは選考委員からメタクソに酷評されてしまったのだ。詳しくは図書館で「問題小説」誌を読んでもらいたいのだが、杉江松恋さんがダイジェストをまとめている。

百田尚樹『風の中のマリア』
「〈スズメバチの生態と一生〉という、ノンフィクションノベルとして読むのならば、この小説は格好のガイドブックになるだろう。惜しむらくは、それ以上でも以下でもない」(逢坂)
「(前略)擬人化はやむを得ないとして、寄りかかり方が安易にすぎ、興を削がれるところが少なくなかった」(志水)
「そこにゲノムを理解したうえでの人間の視点が垣間見え、与えられた台詞を語る虫たちの存在感のなさが気になってしまった点だ」(真保)
「蜂の一生は三十日で終る。とても短い。それはいいが、スズメバチがそんなことを認識、思考するはずがないではないか」(馳) 

 

mckoy.cocolog-nifty.com

『風の中のマリア』は、私は面白い小説だと思った。百田さんの小説でも好きなほうである。このお四方はいずれも超一流の作家だが、ちょっと酷評が過ぎるかなという印象。まあ選考会でヒートアップしてしまったのかもしれない。

で、百田さんはこのときの酷評が相当堪えたらしい。ツイッターでも10年間に渡りこのときの恨み節を呟いている。

これは選考の4ヶ月後のツイート。

その1ヶ月後。

 同じ年の11月。

翌年。

 翌々年(増田俊也さんと話していてアツい)

 4年後。脅迫めいた文言まで登場。

 「小説じゃない」という表現は私も可愛そうだと思う。

 さいきんも……!

実に10年間に渡って愚痴り続けていることから、この年が相当堪えてトラウマになっているのが分かる。

 

第32回吉川英治文学新人賞(2011年)

百田さんと文学賞の蜜月はわずか3年で終わり、最後の回は、2度めの吉川新人賞。

f:id:lady_joker:20200113083908p:plain

百田さんは『錨を上げよ』という大作で挑むも、落選。でもこの年は惜しく、浅田次郎さんが大絶賛しているので、選考会の流れ次第では受賞していたのではないかと思う(推している人がひとりでもいて説得をはじめると、周りが感化されて受賞したりする)。

大作ということもあり、百田さんとしても期待があったのだろう。その後のツイートからは落胆が伝わってくる。

 

 2012年以降

とはいえ、毎年のようにこのクラスの文学賞に引っかかる作家はほとんどおらず、百田さんが質の高い物語をハイペースで書ける本物の作家だということは、この段階でもう証明されていると思う。実際にこのあとも数多の小説を世に送り出し、多くの読者を楽しませている。偉業といっていい、立派な仕事だろう。

2012年、百田さんは出光を扱った『海賊とよばれた男』を発表し、これが超大ベストセラーになる。出版社からの評価も高く、吉川英治文学新人賞山本周五郎賞(これは新潮社がやってるエンタメ賞)の候補になるのだが、百田さんはこの候補を断ってしまう。

 

 

 人間の思考は変わるものなので、「文学賞がいらなくなった」というのは本当なのかもしれないが、どちらかというと「もう同業者に選考されたくない」というのが本音だと睨んでいる。

実際に百田さんはこれと並行して本屋大賞のノミネートは受け、無事に受賞。そのときは、見ているこちらも嬉しくなるような本当に幸せそうなお顔で授賞式に参加されている。

www.oricon.co.jp

 

なので「賞がいらない」というよりは、やはり「プロに選考されたくない」という嫌気と、「プロがプロを選考するのはおかしい」という問題意識のほうが強いのであろう。

 

まとめ

本稿では百田さんと文学賞の関わりをネチネチと書いてきたが、なんでこんなことをしているのかというと、もし百田さんがこの3回のどこかで何かを取っていたら、いまとはガラリと違う立場になっていたのかもしれないからだ。

いや、もしも候補を受け続けていたら。百田さんはその後も小説を発表し続けていたので、たぶんどこかで何かを取っただろう。その後直木賞作家まで上り詰め、より幅広い読者から尊敬を集める作家になっていたかもしれない。

だが現実は百田さんは厳しい選考会に傷ついて賞レースから降り、いまは文壇的なものとは距離のある作家になってしまった。同業者との繋がりも薄いと聞く。その後思想的なシフトが加速して、いまの百田さんになっていくのは皆さんの御存知の通り。最近も過激な発言をして炎上していた(元ツイートは消えている)。

b.hatena.ne.jp

もちろん文学賞を取ったからと人の性格が変わるわけでもなく、いまの百田さんのようになっていた可能性もあるが、一方で文学賞が作家の立場を変えるのも事実ではある。

こんな可能性もあったではないか。文学賞をいくつも受賞した百田さんは、読者からだけでなく、出版社や同業者からも深い尊敬を集める作家になり、文芸の道にひたすら邁進する。それまでの傑作群を超える素晴らしい作品を次々と繰り出し、社会に数多の果実を与え、創作者からも読者からも、あらゆる人に幅広く末永く敬愛される、途轍もない巨人になっていく。

無邪気だったデビュー当初の百田さんの発言を見ると、どこかで受賞していたら、あるいは大藪賞の選評がああいうものでなかったら、何か歯車がひとつ噛み合っていたら……と、少し寂しい気持ちになるのです。